ナイトコンダクター/夜職専門心理士 明城こうのブログ

性と心に関する様々な事柄に特化したフリーランスが考えたことや思った事、軽い解説などを書くブログです。

不信感とはなにか

おはよう、こんにちは、こんばんは。

 

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明城こうです。

今日は日差しがひどい一日だった。日焼け止めそろそろ買わないとまずいね。

 

 

不信感。

不信感というのは文字通り「信じられないと思う気持ち、感覚」のことを指す。

人を信じられない。

信じたくても信じられない。
そんな人たち向け。

カウンセラーと不信感

 

カウンセラーにとってクライエントの信頼関係は切り離せないものだ。

クライエントから信頼を得られないことには、良好な関係性が築けない。
信頼が強い状態で一度会うのと、信頼が弱い状態で一度会うのでは、同じ一度でも会っている時間の質に大きな差が生じる。
濃く、有意義で、楽しい時間を過ごすためには信頼の形成が必須となる。

 


不信感が強い人は他人をよく観察している。

相手の「どの行動が」「どの発言が」自分を傷つける恐れがあるか察知しているからだ。

逆に言えば、それだけ相手の求めていることや相手の状態を「解ろうとしている」という状態である。

それ故、

不信感がある程度解消され、信頼感を獲得した暁には、この面がプラスに働く。体調を気遣ってくれたり、時間を気にしてくれたり。


ガードが堅い人がふたを開けてみると優しかった、というのはかなりこれに近いかもしれない。

そして、「他人にどう思われているか」を多くの人より強く意識している場合が多い。

不信感を解消できれば当然良好な関係を築ける。

先も述べた通り、信頼が強い状態で一度会うのと、信頼が弱い状態で一度会うのでは、同じ一度でも会っている時間の質に大きな差が生じる。

では、このプラスに転じれば素晴らしい気遣いとなる不信感にどのようにアプローチをかけていけばよいのだろう。そもそも不信感とは何なのだろう。

 

 

不信感とその種類

 

人とかかわったり、会話を重ねたりするうえで

「これはいやじゃないかな」、「嫌いにならないかな」

といった申し訳なさからくる感情だったり

「どうせ信じられない」、「早く○○と言え、騙してると言え」

といった攻撃的な感情が出てきたり

「信じられない自分が嫌だ」「裏切られるのが嫌だ」

といった否定的な感情が出てきたりする。

これが不信感。いわずもがなだろう。

 

不信感は大きく二つに分けられると思われる。

・「傷つくかもしれないことから身を守るため」の不信感。

・「自己嫌悪からくる」不信感。

この二つだ。

 

 

「傷つくかもしれないことから身を守るため」の不信感

 

過去に裏切られたり、暴力を振るわれたり、いじめられたり。そんなことがあったのですごく辛く苦しい想いをした。もう嫌な思いはしたくない…
そうか!最初から信じなければ裏切られることもないんだ!

というのがこのパターン。

誰も信じられない、というより、誰かを信じた後に嫌な思いをする可能性がある事が嫌、といった感じだろう。

もう嫌な想いをしたくない、という気持ちが強ければ強いほど、他人とは距離を取ろうとする。接触をしないのだから嫌な想いをすることもない。

 

しかし、距離を取った結果、今度は他人から分離した感覚が強まる。

嫌な想いをしたくないと他人と距離をとればとる程、世界から切り離されたような、寂しさや孤独感の中でふわふわと漂うこととなる。

その葛藤の中で「一人は楽だけど寂しい、だけど人を信じられない」といった言葉が生まれたりする。

 

守られているが、孤独。

伝わる人には伝わると思うが、MOTHER3で「絶対安全カプセル」に入り込んだポーキーのようなものだ。

 

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絶対安全カプセル」は、どこからもカプセルの中身に危害を加えることが出来ない。カプセル内部の安全が完全に保証される優れものである。

その代わりに外界に自分が干渉することが出来ず、外界もカプセルの中身が暴れだすなどの心配から守られ、危害を加えられないといった、双方の意味で「絶対安全」のものである。

極端に言ってしまえばこのような状態である。

(ゲーム上では開閉スイッチが外にしかついていないため出ることが出来ない…笑)

 

なので、解消をするとすれば、まずは通信機か何かを使ってカプセルの内部に優しく語りかけ、カプセルの外に右手一本でも出してもらうところからがスタートとなる。

果たして可能なのか、という話だが、分離感や不信感にさいなまれている人自身が

「人を信じたい」

「自分自身に優しくしたい」と思うことが出来れば、するりと解決したりする。

後は外の世界にそっと、時間をかけて出て来て貰えばよい。

 

 

「自己嫌悪からくる」不信感

 

過去に嫌な思い出があった、という訳でもないのになぜだか人が信じられない…

なんとなく。本当になんとなく。漠然となんだけどね…

というのがこのパターン。

自分に強いコンプレックスがあったり、失敗が多いなどのイメージが先行して、ひどい自己嫌悪や自尊感情の低下が起こると

「こんな人間は必要とされていない」

「ダメなところしかないので好きになってもらえるわけがない」

という発想に陥る。自己不信感を他人に投影した結果の不信感である。

どこかで嫌なことをされる自分が悪い、興味を持たれない自分が悪い

などといった想いを抱いている確率が高い。

 

解消を目指すのならば、まずは自尊感情を養うところからスタートである。生きているだけで尊重される、というのを大げさなくらいに染み込ませないと「存在価値が感じられない」ために延々と自己不信感を奥深く広げていく。

「自己嫌悪からくる不信感」は、自己不信感の他者への投影なので、他人がどうこうする、というよりも、ダメな自分を許してやるというプロセスが必要になる。

 

自分を許すというのは難しいものだ。

人は気づかないうちに、自分には許されないものや、自分は我慢しなければならないものを何故だか増やしていく。

それは恋であったり。

対話であったり。

趣味であったり。

仕事であったり。

学歴であったり。

体型であったり。

性格であったり。

好きなものは好きでいい。なりたいものはなりたいでいい。今あるものは持っているものが全てなのだから仕方がない。
そのように自分に許しを与えられたときに、このタイプは解消に向かうと思われる。

 

 

 

 

 

これで万事解決、この通りに行けば不信感から脱却できる!

と声をあげたいところだが。

他人を今まで信じられなかったことの弊害により、心の中に積もり積もっているものがある。

復讐心だ。

 

 

不信感と復讐心

今まで他人をうまく信じられなかった。他人を信じないことによって、他人からどのような目線を向けられただろかう。

「お前のことが信じられない」「あなたは信用できない」と声を大にして言われて、プラスの感情を持ってくれる人なんてそうそういないだろう。

 

当然不信感を持つものからすれば、精いっぱいの外部への接触である。

しかし、多くの場合は

「じゃあもういいよ」「あっそう」と放られてしまうか、「傷ついた」「悲しくなった」という反応が返ってくる。

 

僕も残念ながら悲しくなってしまうタイプの人間だ。

 

相手を信じられないことにより、自分の中の辛さは自分自身の中に溜まりに溜まり、行き場をなくす。

その行き場がなくなった感情が本人の意思を半分無視した形で「ひねくれた態度」であったり「攻撃語」へと転じ、相手に刺さるものとなるのだ。

そうして「傷ついた」「悲しい」という反応を得られた不信感を抱えた者は、復讐心を満たしてしまう。何かが解決したような気持になってしまうことがある。

 

だが、この復讐心は後に、罪悪感となり真綿のように首を絞めつける。

相手の復讐心をうまくいなし、ポジティブワードをかけ続けることが不信感解消のキーとなるだろう。

 

 

さいごに

長々と文字を連ねてきたが、不信感をもっているからダメだ、とか、復讐心があって他人を傷つけているからダメだ、とか、そういう説教がしたい訳ではない。

 

自分がなぜ不信感を持っているか、攻撃をしてしまうのか

をしっかり咀嚼し、誰かと一緒に対策を練っていくことが不信感解消につながる。

その誰かが一般の人でも、専門の人でも。受け止めてくれる人と一緒に。一人ですべて成し遂げようとしないことが大事だ。

しかしながら、一般の人は不信感を解消する過程で潰れてしまうことも多い。

できる限り専門者と一緒に行うことをお勧めする。

 

 

では、またの機会に。