八重枕CADABRA

ナイトコンダクター 明城こうのブログ。心と性に関する雑記。 主従ハーレム持ってます。

成長過程で全員に空く「心の穴」と「性癖」

明城です。

 

 

はじめに(長いので興味ない人は「さて、本題に入ろう」までスクロールを。)

 

twitterでもお知らせしましたが、twitterとブログで運用方針を変えようと思います。

140字で伝えられるすぐに使えそうな情報、共感を呼びそうな情報はtwitterで。
共感がいらない情報、自分はこう考えているよ、という半ば一方的な配信はBLOGで。

 

コメントはつかないだろうけど、承認制にしました。なぜならここは「一方的」な場なので。僕の本気の主張を知りたい人だけが読めば良い。

それ以外はターゲットではないし、僕はここには譲るような主張は書かないし、脱線はしまくるし、「そうじゃない人がいる」ことはわかっているし、「違うなぁ」と思うなら放っておいて欲しいし、twitterより言い切る。ここは僕のメディアだし、加えて明城は別に聖人ではない。
考えるきっかけ、とか、ものすごくクリティカルなものは取り上げます。


そんな感じでいこうと思う。よろしくお願いします。
Twitterより余程めんどくさくて長ったらしい明城の見世物であり、しっかりと考えたい、吸収したい、自分を知りたい、意思を作り上げたい人向け。

 

押し付けられた自己認知に意味はない。情報を得て、どう使うかは自分次第。

自分のことに自分で気づく力、思考に色を与える力、思考を修正する力。

そんな力をつける補助になれば良いなと思っても、押し付ける気なんて毛頭ないんだよね。それを押し付けると僕なしでは生きられなくなる。いわばそれは教祖化で。

そんなものを僕は望んでいない。いやそっちの方が金は入るんだけどさ。

教祖であれば、欲求を義務として、義務を欲求に紐つける傾向がある。

いわば「税金を払いたい」状態に近いかな。意味わからんでしょ。そういう意味のわからない状況を作るのがそれということ。

んで「自分がしたいこと」と誤解させられて、「体の良い搾取」を笑顔で受ける。

 

僕の羽は綺麗で強いでしょう。
でも僕の羽で飛ぶな。綺麗で強い羽の作り方は教えるから、自分で羽を作って飛ぼう。凄く気持ちいいよ。一番好きな飛び方をしよう。

 

僕の釣った魚は新鮮で美味そうでしょう。
僕の魚は分けない。新鮮でおいしそうな魚の釣り方を教えるから。自分で釣って焼こう。死ぬほど美味だよ。一番好みの魚を釣ろう。


そのかわり、死ぬほど頑張ったその姿はちゃんと出来るまで、出来るようになっても見守っておくから。

 

僕とのセックスは気持ち良さそうでしょう。
僕とセックスをしましょう。最高の瞬間を提供するので。自分から溺れに来よう。死ぬよ。委ねて壊れてね(これは関係ない)

 

 

いや何様だよ、と思った人。

このブログは向いていないと言い切る。回れ右。はい。

…おおんムカつくか?本質的なことを書かれてムカつくってことはお前の学が足りないってことやぞ。帰れ。笑

そういうバカは近くには要らない。バカはうつる。風邪と一緒。レベルが低い人間と過ごす時間が長いと、自分のレベルが下がる。もしくは停滞したまま自尊心だけが肥大して行く。ゴミの完成。やったね。

一生そのクソほどつまらない狭い視野と、狭い常識と、狭い世界の中で、周り全員を馬鹿にして生きとけ。笑
いいじゃん。それがお前の幸せだよ。素敵素敵。笑

ほら帰れwww帰れってほらwwwじゃあのwwwおつかれっしたwwwwwwwwwwwww

 

 

 

帰った?

本当にバカはうつるからね。こういう馬鹿の自尊心をいい感じにいじくり回せばひどく金になるわけど、それも趣味じゃない。

 


そんなこんなで。

できるだけ読みやすい文を心がけたい。

それでも解説調が過ぎるとこう、「固くなる」ので、なるたけ話し言葉で書きたい所存。普段僕の声を聞いている人はどういう「喋り」かわかっているだろうからおそらく違和感はないし、初めましての人も「目の前ではこんな風に喋るんだなぁ」という指標にもなると思う。

しかも前の記事って「つまらん」のだよ。わかるかなぁこの感覚。別に僕じゃなくても書ける。色がない。


随分とBLOGをサボってきたので、フォロワーが伸び始めてから書くのはほぼ初めてかもしれない…。笑
ただ先日壱ノ慈さんとお話をしていた時に、BLOGの大事さを再認。そもそも読む層も違うし。僕のところに来るのはそもそもが考えるユーザーが多いので、BLOG向きなのかもしれない。シンプルに明城とヤりたい!って人も無論すっごく嬉しいのだけれど。笑
僕はいつでもヤりたいのでウェルカムです。

BGMはこちら。直接的すぎるのでお外で流さないように。

www.youtube.com

もしもし?sex please. のところはコールなので(コールなのか?)一緒に歌おう。楽しいよ。

 

 

 

 

さて、本題に入ろう。

「心の穴」と「性癖」。「心の穴」と聞いて、皆は何を思い浮かべただろう?

多くの人が「心の穴」の字面から受けるイメージでトラウマに関連する何かだ、と思うだろう。

もちろんそれも構成要素の一つではあるけれど、それだけを指した言葉ではない。
いわば【成長過程で生まれる「欠乏」】なんだよね。悪いことじゃあない。誰でもみんなに空くもの。

 

「心の穴」というのは、記憶の限り、元はと言えばAV監督の二村ヒトシ氏が使い始めた言葉だったりする。
これは僕の言葉ではないんだよね。ただ、これ以上に適する言葉が他に見つかる気がしない。穴という表現が適していて、分かりやすい。

気になる人は是非著書を読んで見てほしい。「なぜあなたは愛してくれない人を好きになるのか」は、内容がブッ刺さる女性からすれば涙なしでは読めないものだと言い切れる。是非。
モテなくて悩んでいる男性は「すべてはモテるためである」を読んでみると良い。「モテないのはあなたがキモチワルイからだ」という斬新な一文から始まる本。これまた刺さる人にはひどく刺さるよ。

二村氏の著書の話は置いておいて。

 

「心の穴」は成長過程で生まれる欠乏だ、と書いたけれど


欠乏はすなわち欲求なんだよね。欲求は何かしらの形でどうにかしないと「落ち着かない」。

生まれた欠乏が、欲求となり、性癖を呼び起こし、その性癖を埋めたいと思う。

だけれど、欠乏に蓋をしてなかったことにしちゃったり、欠乏が何だかわからなかったり。欠乏はあれど発散先が無かったり。そんな人が割ところころ転がっているんだよ。

そうして欠乏を埋めるにも動機、情動が必要だったりする。必要性を感じないと人は動くことができない。というか必要じゃないからやらない。また、欲求の大きさに人は左右され、欲求が大きければ大きいほど、他の小さな欲求はその中に埋もれている。
例えば僕なら、お金を稼ぎたい、セックスがしたい欲求が大きすぎるので、愛されたい、なんていうのは埋もれがち。

そんなメカニズムをここから先は書くことにしよう。

 


人は足りないものを欲しがる生き物。これは習性として。

 

【お腹が減ればご飯を食べたいし、

睡眠が足りなければ眠いと思うし、

楽しみが足りなければ遊びに行きたいし、

知らないものは知りたいと思うし、

お金がなければお金が欲しいと思うし、

痩せた体型が理想なら痩せたいなぁと思うし、

愛情が足りなければ愛情が欲しいと思うし、

セックスが足りなければセックスがしたいと思うし。】

(【】で括った部分はこの先形を変えて何度も登場するので、注意して読んで欲しい。)

 

ここに現実分岐があったりフィルターがかかったりする。無論、性格によって。

 

欠乏の大きさ、つまり欲求である「心の穴」の大きさは人それぞれ。

あの人は足りてるのに私は足りない、なんてことが往々にして起こり得るんだよね。

それが行きすぎた抑圧だったり、行きすぎた充足だったりすると問題が現れてくる。辛くなったりわがままがすぎたりしてくる。

古代ギリシアでは何事も「ほどほど」がよしとされていた。より昔だからこそ本質を突いている事案も少なくはない。
HカップよりCカップの方が良いということでもある。僕はE〜Fくらいが好きです。すいません。

145cm未満Eカップ以上43kg以下で20代前半、甘ロリ系のお洋服がよく似合うエロいことが好きな女性、もし今この文章をお読みでしたらこちらまでご連絡いただけると幸いです。折り入った話があります。
文章を打っているこの瞬間にも「住んでいる次元が違いますが応募は可能でしょうか」というDMが届きました。可能です。叶うのなら平面になるのも辞さない。

 

 

ここから先は欠乏充足の分岐について書いていく。

便宜上「AとB」を対比させて書くけれど、別にどちらが悪いということはなくて、それに対して批判するつもりもない。自分はこうだなぁ、と当てはめてみてくれれば得るものがあると思う。

欠乏充足の分岐①「実行するか否か」

○○が足りない!という欠乏、すなわち欲求を得た時に人間がとる行動は二つ。

一つは欠乏充足への努力。何とかしてそれをかなえようとする。

もう一つは欠乏自体を回避。欠乏を感じても埋めない、埋めるのが面倒、手間を省きたいなどが優先されることもある。

 

実は相反するようだけれど、面倒だからやりたくない、とりあえず満たせれば良い、も立派な欲求。

動きたくない、やりたくないという「欠乏」は面白いことに「育つ」。

物や刺激を与えられすぎると、与えられている状態が普通になっていき、「ない」という状態に耐えられない、もしくは「ない」のが不自然に感じるようになっていく。

動かない状態が不足するようになっていく。

そもそも人間とは変化を嫌う生き物でもあるんだよ。

状態を変化させるにはひどくエネルギーを使うんだよね。

変化を起こせる、ということは相当な決意や勇気がいることをやっているのだから、それはもう褒められて然りなわけですよ。
その反面、某教祖氏が言うように「冬場の便座に座るくらいの勇気が出せない人が多い」というのも事実で。便座に座っても誰も褒めてくれない。立派な事でも何でもない。

なぜ座るかというと「座らないと仕方がない、やるべきこと、やりたいことが出来ないから」なんだよね。物理的な方面では受け入れられるのに、精神になるとダメージに差異が出ることが多く、途端にダメな人は多い。どっちもやっていることは本質的には変わらない。別につり革がつかめなくても、男性恐怖でも死にはしないんだよね。だからやらなくてもいい。

 

しかし、冬場の便座に座れなければ膀胱が決壊して衆目に痴態を晒すことになる。死んじゃうくらい恥ずかしいね。でもそういうプレイが好きなんでしょ?ほら、図星だ。またイッちゃったね。君はみんなに視られながらイくような変態なんだね。恥ずかしくないの?ふぅん、なんにせよ、そんな変態はしっかり躾けないとなぁ。

 

 

欠乏充足への努力をする人はこんな行動をする。

【お腹が減ればご飯を食べにいく、

睡眠が足りなければ眠る時間を作る、

楽しみが足りなければ遊びに行くし、

知らないものは知ろうとするし、

お金がなければ欲しいだけ稼ぐし、

痩せた体型が理想なら理想に近づこうとするし、

愛情が足りなければ愛情を得に行くし

セックスがしたければセックスをする。】

 

並べてみればまあ当然、といった所だろうか。

 

欠乏を回避する人はこんな行動をする。

【お腹が減ったけど別にいいや、

睡眠が足りないけどいいや、

楽しみが足りないけどいいや、

知らないものは別に良いや、

お金がなければいいや、

痩せた体型が理想だけど、いいや、

愛情が足りなければ、それでもいいや。

セックスしたい。いいや。】

 

これも書けば自然。やりたいことの欠乏がそんなに大きくないし、動かないことの欠乏が大きくなれば当然こちらを選択する。

 

 

欠乏充足の分岐②「感情」

 

その努力や回避をどんな気持ちで行いたいか。

簡易的にここでは欠乏充足への実行的な行動をポジティブとネガティブに分類する。

ポジティブな行動だと人は当然満足感を得やすいし、ネガティブな行動だと欲求は満たされてももやもやとした感情が常に残ってしまう。

やりたくないものややる気が起きないものを無理やりやったところで、実はその分ストレスがかかる。そうなると食事と睡眠の例を持ってきたのは失敗だった気がするけど、今から書き直すのもあれなので大目に見てください。

そう、「書き直すのが面倒くさい」という欲求を今丁度明城が埋めたところです。

 

ポジティブ型の人はこんな行動をする。

【お腹が減った、ご飯を食べると幸せ!だから食べる。

睡眠が足りない、眠ったら気持ち良いから寝る。

楽しみが足りない…楽しみたい!遊びに行こう!
知らないものって面白い、少し勉強してみようかな?
お金がない、欲しいものが買いたいから働きに行こう!

痩せた体型が理想。自分も素敵になりたいな。
愛情が欲しい。誰かがきっと愛してくれる、よし、彼氏!
セックスがしたい!最高なのをしよう!】

 

ネガティブ型の人はこんな行動をする。

【お腹が減った、ご飯を食べると太っちゃう、嫌だなぁ

睡眠が足りない、寝たら一日勿体ない、はぁ

楽しみが足りない…周りは楽しんでるのに。

知らないもの、知らないと馬鹿だって思われるよね、やらなきゃ

お金がない、働きたくない、欲しいものもない、でもやらなきゃ

痩せた体型が理想。今の自分が好きじゃない。

愛情が欲しい。誰も愛してくれないけど身体を開けば

セックスがしたい、でも私なんて】

 

欠乏充足の分岐③「受動と能動」


もうすでにめんどくさくなってきた人もいるだろうか。明城は既に文字を打つ腕が疲れてきたよ。なぜなら現段階で5000字が近いから。実に原稿用紙12枚。
欲求っていうのは複雑なんだよね、紐解いていくと。

 

受動的か能動的か。物を得るために自分が動かないか、自分から進んで動くか。

楽しみたい時でも、例えばTVを見るってのは受動的な行為で、ボルダリングをする、なんていうのは能動的な行為。受動的なものは能動的なものに比べ、自分の意志は反映されづらい。インプットとアウトプット、という見方もできるかもしれないね。そして受動的なものはより、思考が止まりがち。思考が止まるとその段階で物事は終了する傾向がかなり強い。批判とかではなく。表面的な欲求が埋まった、ということである。

そして、能動型はいい結果を往々にしてもたらしやすいけれど、いかんせんエネルギーを使う。エネルギーがない時に無理に能動型にシフトしようとすると、行動そのものが持つパワーにやられてしまって自己がつぶれがち。適切なやり方が分かっていないと空回りも多く、結果的に傷ついて終わってしまうことも。

 

受動型(インプット型)の人はこんな行動をする。

【お腹が減った、ご飯を食べると幸せ!何でもいいから食べたい

睡眠が足りない、気が付いたら寝てた。

楽しみが足りない…テレビでも見ようかなぁ!

知らないものって面白い、WEB流し読み…へぇ、いいなぁ

お金がない、今日も会社に行って稼ごう。

痩せた体型が理想。モデルの雑誌読もう!へえこうやって痩せるのかぁ

愛情が欲しい。恋愛ドラマいいなぁ…

セックスがしたい、女性向けAV、はぁ、いいなぁ、んっ】


能動型(アウトプット型)の人はこんな行動をする。

【お腹が減った、ご飯を食べると幸せ!今日はラーメンにしよう!

睡眠が足りない、よく眠るにはどうしたらいいんだろう、寝具変えようかな。

楽しみが足りない…ボルダリングいくか、スポーツしようか!

知らないものって面白い、この本やこの本を買って、読んで。どういう意味だろう。

お金がない、もっと稼ぐにはここをどうにかして…

痩せた体型が理想。筋トレ!ランニング!食事制限!

愛情が欲しい。合コン!恋愛!婚活!

セックスがしたい、彼氏、友達に連絡をとろうかな】

 

 

大体の分岐はこの三つ。
実行するかどうか。ネガティブかポジティブか。受動か能動か。


欲求を充足したとき、一番満足度が高いのは「能動的にポジティブに動いた時」。

当然、一番満足度が低いのは「受動的にネガティブに動いた時」。

更にここに様々な環境要因や心理作用が加わるのよ。
逃げられない状態だったり、嫌われたくなかったり、行動がこわかったり、やらなきゃいけないことだったり。
自分では無理だからと満たすことをあきらめて攻撃に転じてみたり、空想の世界にいってみたり。仕方ないんだと思い込んでみたり、欲求を抑え込んでしまったり。
後半のは「防衛機制」というのだけれど、長くなりすぎるのでまた別の機会にお話しようと思う。

 

んで当然、性癖という「欲求」「欠乏」を充足するにも「能動的にポジティブ」に動けば寄り満足度が高まる。そこに抑圧なんて必要ない。
でも性癖は認知しているもの以外に、抑圧されて埋まってしまっているものもある。そこを普段の会話や家庭環境等から推察していく。


成長過程で空いた「心の穴」が会話や行動に現れる。


例えば我慢することを強いられてきた人の場合。

 

当然と言えば当然だけれど、我慢することが当たり前になっていて、自分を休ませる方法や褒めてやる方法を忘れている。
つまるところ自分で自分を虐めぬいてしまう。気づかぬうちに追い込み、たどり着く先はストレス過多の鬱や過食。当人はそれに気づかない。凄く忙しそうなのにそのそぶりを微塵も見せないで、戦っていたりする。


辛いことと常に対峙しているのに、褒められる機会が少ない。

でもそうすべきだからする。
ご褒美はない。そうすべきだから。自分の居場所が徐々に分からなくなる。


この人の「心の穴は」「終わり」と「安定」と「褒め」である。


ここまで耐えれば大丈夫というラインを、枠組みを決めてやる。頑張って耐えてもらう。

ここまでは普段と変わらないが、ゴールが待っている。

いつもは見えないゴールに向かっていつものように頑張り、終わったころに、全力で褒める、全てを。
その人は涙を流す。
その時が「終わったから」だ。「終わったこと」をわかり、「明確で安定した終わり」があり、更に「褒め」が追撃で入る。


性癖ど真ん中のセックスをしたとき、涙を流す人は多い。それは求めていたから。求めても求めてもたどり着かないもの。


笑いながら節操なく体を開き派手なセックスを繰り返す人だってそう。

 

欲しいのは愛情かもしれない。足りない父性を「男性性」を感じられるセックスで代替しているだけかもしれない。普段のセックスは自傷的で、実はしながらどこか遠い目でものをみつめていたりして。

このひとの「心の穴」は「愛情」と「安心」。

セックスは実は必要ないのかもしれない。ただ一つの安定の場所が欲しいだけなのかもしれない。ただそれとセックスが融合すると大変なことになる。


親や夫にDVをされた挙句、人をとにかく楽しませようとする人。

この人は人が笑っているという状態が快い。逆に人が笑っていない状態が怖い。自分に興味を持たず、離れていくかもしれないという恐怖が強い不安を呼び起こす。むしろ笑われている自分にしか価値がないと思っていたり、良い思いをさせないと攻撃される、という思いがあったり。

このひとの「心の穴」は「孤独」と「恐怖」。

周りを認知しなくて、気にしなくていいように目隠しをして、縄で縛り、そっと抱きしめて優しい言葉をかけ続けてやる。孤独で何も外部に干渉できない状態を作り出して、その状態で「それでもいいんだ」ということを伝えてやる。嗚咽を漏らして泣き始める。

場合によっては数度の後、一番汚い場所を「いい子だね、いい子だね」と犯してやる。

 

潔癖症

貴方のなら汚くないよ、でも怖い、と言い切る人には指を口につっ込む。徐々に馴染ませる。イキながら涙を流す。抱き寄せる。

欲求は「安心」と「人肌」「無力感の脱出」。

自分でやろうとしても乗り越えられなかったことを今この瞬間に乗り越えた。
褒め称えられるべきこと。大事なものが埋まっていく。

 

僕がそっち方面の仕事なので、トラウマ的な例がやはり多く浮かぶけれど
この例以外にも勿論沢山出てくるわけだ。


終わりに


その人の背景。その人の考え。表面に出ているものの裏にあるもの。
それらが「心の穴」を形成する。


そしてその穴は小さくなる、表面が滑らかにはなれど、決して埋まらない。

最初は泣いていたものが、徐々に最高の快感に変わっていく。

 

穴を優しく埋めるという行為はその人を癒し、マイナスをプラスに転換させる作用を持つ。


プラスになった後は穴を自覚して楽しめばよい。自分に空いた穴なのだから、自分が愛してやらないで、一体だれが愛してやるというんだろう。
ただそれに最初は気づくことが出来ない。視てくれる、与えてくれる人が現れて初めて気づくことも多い。
自覚して嫌になることもある。だが、自分の「心の穴」。

大事にしてあげて欲しい。


自分を大事にできない人は他人を大事にできない。


よく聞く言葉だが、本質的に理解できなかった人もいるはず。
でも今なら意味が解る筈。

 

自分の「心の穴」を守ってやれない人は他人の「心の穴」も守ってやれない。
自分の「心の穴」を埋める手段を持つ人は他人の「心の穴」を埋める手段になれる。
自分の「心の穴」を大事にできる人は他人の「心の穴」も大事にできる。

そう、そういうことだよ。

 

では、またの機会に。