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【思考整理】「思考ハリネズミな人々」

こんにちは。明城こう(@_kou_akagi_)です。

 

僕は頭の中で物が回ったときは、考えを吐き出す習慣をつけています。
やることがあったとしても。笑
割と問題に見えますが…

思考が頭の中にたまってしまうと、自分が思うように物事を運べなくなったりします。
頭の中の容量が埋まってしまうんですよね。

故に吐き出す必要があります。

その過程で、僕の日記には様々な「その時思ったこと」が書き込まれているわけです。

 


ふと思い立ちました。
「世界観が好き」「思考を垣間見たい」と言ってくれる人が居るのだから
その時思ったことを日記でなくブログに書いていくのもアリなんじゃないか、と。
結局やることは変わらないし、みてくれる人に「話しかける」だけなので。
つまり頑張らなくていい。思考の吐き出しですからね。

 

誰かがブログではなくnoteの時代が来る、と言っていました。
なので主戦場をそっちに変えていい気までしてきていて。
うーん、どうしよう。両方投稿しようかなあ。
でもnoteでは「有益」なイメージを作りたいので、やっぱり乱文を置くべきでは無いですね、はい。

 

 

普段の日記は乱文どころではなくほぼ呪文なので、

頑張らなくていいとはいっても、ある程度の伝える書き方はしなきゃいけない訳です。笑

 


それがネットに積み重なるのであれば、それを書くのも「得」なわけです。
あ、当たり前のように話はぽんぽん飛びます。

伝えるように書く、とはいっても「頑張ってしまっては意味がない」ので。
乱文である前提、でお読みください。

 


何かを伝えるための、大事なnoteでもないので。
思考の吐き出し、整理。それをwebで行ってしまえ、というだけのことです。
共通してタイトルには【思考整理】とでも入れることにしましょう。

 

それでは。
今日は【「思考ハリネズミ」な人々」】について。

 

 

 

ハリネズミ。
可愛いですね。小さくて、丸っこくて。所かまわずうんこをして
お腹はフニフニで柔らかく、棘の無い面から触ると簡単に壊れてしまいそうな。

 

 

「そんな思考の持ち主」な人を見た事、ありますよね。
ハリネズミの話をしているハズですが、そんなひといるいる~となる人が多いのでは。
僕はこのタイプの人と「仕事以外」では絶対に関わりません。
人間関係においても徹底的に排除してきました。疲れるので。

 

 

「私が理解できないものは、くだらないものだ」
「常識的でないものは、あってはならないものだ」
「だから、その人は、馬鹿だ、愚かだ」

 


いいと思います。生き方ですし。僕が突っ込む事でもないです。
でも結局それって「自分の価値観の範疇」を出ていないんですよね。
触る前、理解をしようとする前の、全否定。
僕自身が割とイレギュラーな存在ではあると思っているので、
どうしてもこの手の人とは距離を置きたくなります。
これはメリットデメリットではなく感情の話ですね。
感情を抜きにしても、デメリットの方が圧倒的に大きいですが。

 

 

「常識」や「普通」はその人の世界における平均値、というのは伝わる事かと思います。


「賛否が分かれる、常識や普通を超えたある事象」を見たときに


Aさん「これは良くわからない、普通に考えて間違ってる。どうせ大したこと言ってないだろ」

と思うか


Bさん「これは良くわからない、普通に考えて間違ってる。でも理解できるようになりたい」
と思うか。


良くわからないまでは一緒です。

そのあと、「不可解」な事象に、棘を出すか、歩み寄るか。
これを知的刺激と捉えれば、

それを遮断するか吸収しようとするかで大きな断絶が生まれることになります。


ヒトの脳は怠けものなので、処理が大変だと「意味がない」ことにしてどっかにやってしまうんですよね。癖がなければないほどより顕著に。
悪いということでは無く、なんでしょう、いわば知的刺激に対する怠慢を無意識的に起こしている状態、というところでしょうか。

 

そして、棘を出すタイプの人は
「ほぼ例外なく中身がない」です。
話をしていて「この人は薄い」と感じることが圧倒的に多い。


なぜなら、「常識」「普通」の殻に閉じこもっているから。
「常識」がいけないわけでも「普通」が間違っているわけでも
「非常識」なものに理解を示せ、という訳でも無いのです。


それを喋るとその人の世界観の否定になってしまう。自分の世界観は大事ですからね。
くわえて、それを喋った時点でこちらが【思考ハリネズミ】になります。

 

SNSで発達障害への理解やLGBTへの理解を求めている人たちに「気持ち悪い」という感情を抱くことがありますが、その人たちを眺める限りほぼ例外なく「これ」です。
そんな事を言うと「差別だ」とぶん殴られる訳ですが。やめてや。

 

居場所が欲しいのだけれど理解できない人を殴ってしまう。
自分たちが理解されないされないと嘆いているのだから、逆の立場から見たその人たちを殴るのはちょっと違うと思うんですよ。

結局やってることがあなたの「敵」と一緒じゃないですか。自分たちの常識が「発達障害」で「LGBT」なだけであって、それがみんなに適用されるわけでは無いですよね。

 

ああ、発達障害の仕事のことでも書きたいこと出てきたな。
ここで書くとものすごく長くなるのでやめますが…


あ、僕自身はアスペルガーで、かつ受け入れた人であれば恐らく男もいけるので
発達障害にもLGBTにも該当はしてます。

関係ない人がやいのやいの言ってるわけでは無いですよ。ご了承を。
内側から見ておかしいです。

 

「非常識」なものを感情で切ってしまうのが滅茶苦茶にもったいない。
これはいわばレッドオーシャン的な生き方で、そうですね、常識の先には多くの場合平均しか答えがない、といった所でしょうか。

 


そして困ったことに、レッドオーシャンに突入する生き方をしている人であればある程「自分には何もない」と嘆いている、自尊感情が低い例がめちゃくちゃ多いんですよ。
マイノリティに固執しているのにも関わらずマイノリティを得られていない、そんな状態です。

 


人間関係は「鏡」だとよく言いますが
「鏡」は言葉だけでなく思考にも当然適用されます。思考の具現化が言葉ですからね。
「自分が周りを許せない」と「周りに自分が許されていない気がする」んです。
そしてこの「気がする」が大きくなって更に「思考ハリネズミ」を加速させていく。
悲しい無限ループ。

 


一般的に見た「分かり易さ」とそれが「本質をつかんでいるか」は全く関係が無かったりする。
「本質をつかんでいる」ものを「分かり易く伝える」のが僕の仕事なわけだけれど。

 


そんなことは分かってる、でも間違ってるものは間違ってる、

とこの文章に反論したくなる人のお決まりの口癖があります。

 

「私にも悪い部分はあるけど」


です。そもそもその人たちはこの文章を読まない確率の方が高いですが。
これ謙遜してるように見えて、全く悪いと思ってないんですよね。
びっくりするくらいに。笑

 


真意は「そんなことよりお前の非を認めろ」なんです。そしてそれの押し付け。


一回引いたように見えて凄く傲慢、そういった所が凄く「目に刺さる」んです。

 


そうして「責任」として簡単な説明や謝罪を求められる訳です。
こういう人が私生活で近くにいると「疲弊」するんですよ。

 

その人たちは似た者同士で固まる訳です。また、写し鏡。
分かりにくい話、理解を超えた話を聞きたくない、知る気がない、という人を見かけるけれど、これ自体が「人間関係を汚染する思考」だと僕は思っていて。

 


なんだろう、人間関係というよりやってることが政治なんですよね。そして、その話には「根幹」が無いからひどく回りくどく聞こえる。

 


なので「仕事以外」で関わるのが時間の無駄なんです。他人に責任をもて、と投げかける割に自己の責任がつかないように会話を進めるので、どこまでも会話がすれ違うし噛み合わないんですよ。


人間関係に政治でぶつかってこられると面倒、ということです。
僕は対人で政治をする気がないので、特に。

 


現実って普遍的に「普通」が適用できるものでは無くて。
大岡越前や仮面ライダーなんて現実の世界には存在しないんですよ。


正義は必ず勝たないです。


色々な要因や力関係の相互作用によって「問題」も「結果」も決まる訳ですから。

 

なんだろう、いけない事や失敗って悪いことでは無いですよね。
上手くいかない事や、自分が能力として劣っている事、

逆にはみ出しすぎている事。
悪いことでは無いです。

 

「自分で自分を労えない」
「間違っていた時の失敗が怖い」
ので逃げ道を用意して政治をしている、そんな感覚。

 

いいじゃないですか、誰だって失敗しますよ。
なんでそんなに罪悪感でいっぱいなんですか、上じゃないと壊れそうになっとるんですか。
強がりで繊細で棘を出す、ハリネズミな皆さん。
政治的なかかわりを続け「本当の自分を解ってくれない」と嘆く
ハリネズミな皆さん。

 

しんどくないかなぁそれ。

 


「人間関係をしない」なら関係ない話でした。
ある視点から見れば「驚き」で、ある視点から見れば「あるある」で、ある視点から見れば「説教」で、ある視点から見れば「時間の無駄」なのでしょうね。

 

では、またの機会に。